大塚貴之は、六甲クラブを選択した。
生まれながら重度の聴覚障害で、耳がほとんど聞こえない。
それでも3歳からラグビーを始め、中学では県選抜に入り、進学した大分雄城台高では3年時には主将を務め、県決勝で常勝・大分舞鶴に7-14と花園まであと一歩の所まで迫った。
大塚の挑戦は終わらない。「もっと高いレベルで自分の力を試そう」と学生最強の帝京大の門をたたく。4年間、時には上手くいかずに悩んだ時もあっただろうが、愚直に努力を重ね、昨年の大学選手権1回戦でAチームのジャージに初めて袖を通し、トライも上げた。
ラグマガやTVのドキュメント番組でも取り上げられ、多くの人々が大塚を知るところとなった。
入社した会社の配属先が関西だった。複数のチームから誘われていた。デフラグビーなどでお世話になったチームもあった。
「一緒に日本一になろう!」
六甲側の暑苦しいほどの「ライン攻撃」もあった。ギリギリまで悩みに悩んだ。
そして、
「僕が持ってるものを六甲に還元し、僕も六甲クラブで色々勉強したい」
と、六甲クラブ入部を決断した。
練習では、相手の唇の動きを読み取る「口話」で内容をすぐに理解して順応していく。パスをもらう時のタイミング、ボールを持った時のスピードは「やっぱり違うな」と誰もがうなずく。何よりも、大塚にとっては当たり前なのだが、こちらが恥ずかしくなるらいに真剣に見つめて話を聞いてくれる。
7月5日の試合では2本ともに途中からの出場で、ボールに降れる回数もやや少なかったが、キックチエイスやバッキングなど惜しみなくピッチを駆け巡った。中でもトライを取られた後のコンバージョンで相手キッカーに猛烈なプレッシャーをかけた場面はチームを鼓舞した。
谷主将も語る。
「まだ出会って間もないんですが、走り方、ボールをもらい方を見た瞬間、素晴らしい選手だと確信しました。コミュニケーションもアイコンタクトを取るなどいろんな方法があるなと感じました」
さらに付け加える。
「何よりも前向きでひた向きです。コミュニーケションの取り方など本当に勉強になります」
大塚はプレーすることで、自分に挑戦してきたが、同時に周囲も成長させてきたに違いない。かつて雄城台や帝京大の仲間がそうであったように、これから六甲の仲間に、ラグビーで、いや人生で一番大切なものを気付かせてくれるに違いない。
「社会人のクラブはグラウンドや人数、環境など学生時代は当たり前だったのが当たり前じゃないところです。そんな中で皆さんと共有できる時間を大切にしながら、日本一になるプロセスを楽しみ、日本一を目指したいです!」
試合後の飲み会で大塚は大きな声で宣言し、ジョッキを一気に飲み干した。九州男児らしく酒に強い新たな一面が、仲間との絆をさらに深めていく。
日本一になりたい。日本一になる。
常日頃口にはしているが、それに向かう努力を俺たちはまだまだやれていないんじゃないか。
もう一度自分たちの足元を見直して、頑張って行こう。
大塚貴之には人をそう思わせる力がある。
彼とめぐり合わせてくれた楕円球の神様に感謝したい。
(三宮清純)