2017年・新入部員・スタッフ募集
桜の季節も終わり、若葉の緑が清々しい季節になってきました。
新社会人、新しい部署、赴任地などで、緊張感も少し慣れつつある頃でしょうか?
「クラブラグビー」ってなんだろう?
ある選手が初めて参加した時を振り返ります。
今から16年以上も前のポートアイランド。
まだ神戸空港もなく、今では大会社の研究所や工場が立ち並んでいるが、当時は雑草が生い茂る空き地が六甲クラブの練習場所でした。
関東出身のその部員は初めての関西。会社の先輩に連れてこられて参加します。集合した中に、日焼けしたダンディな選手がいました。
どこかで見たことのある顔だな~と思ったら、70年代後半~80年代前半の学生ラグビー界で「アカクロ」を身にまとい、満員の国立競技場を沸かせ、社会人ラグビーでも、30代後半で引退する最近までバリバリでやっていた元日本代表WTBでした。 半年前に大阪転勤となり関西にやってきたそうです。
その日は雨上がりで、雑草だらけの空き地は、ぬかるみでグッチャグチャ。すぐに皆泥だらけになります。日本代表もラックやブレイクダウン(当時はそんな言葉もありませんでした)で体を張ります。
練習が終わって皆で近くの銭湯で汗を流し、ラーメン屋でギョーザとラーメン。お疲れさんでちょっと一杯の瓶ビール。もちろん「モ●ツ」でした。その中で互いの仕事やトレーニングなどの話などで盛り上がります。元日本代表…Y野さんは、毎朝6時に起きて、7時に梅田のジムでトレーニングしてから出勤するそうです。
「毎朝歯磨きするようなもんだからね。やらないと気持ち悪いんだよ」。
前日、どんなに飲んで夜遅くなっても必ず早く起きてジムに通うそうです。だから現役時代から体形はほとんど変わらないと笑いました。
大学、社会人、クラブと戦うステージが変わっても、トレーニングを続ければいつまでもラグビーを本気で楽しめるんだ。Y野さんはそう僕たちに教えてくれました。
00年1月23日。全国クラブ大会の決勝が初めて秩父宮で行われました。40歳になっていた元日本代表WTBはトライを上げて優勝に貢献、アフターファンクションではMVPにも選ばれました。
「大学、社会人で色々賞をもらってきたけど、きょうのこのMOMが一番うれしいです。いやホント、お世辞抜きで本当に嬉しい。ラグビーの素晴らしさを改めて感じました」
そう挨拶して「モ●ツ」を飲み干したY野さん。関西にいたのは数年間でしたが、多く「財産」をクラブに残していきました。
驚くことに、56歳になった今でも、まだまだ現役バリバリでプレーされているそうです。
新しい季節、新しいシーズン、新たな気持ちで
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