~六甲全国大会激闘史~
●第8回大会(2001年・沖縄・秩父宮)
曼荼羅クラブにリベンジ許す
前年度、秩父宮で初めての決勝戦に快勝した六甲クラブ。副将だったHO・榎村が主将に就任、会場は沖縄での大会でした。1月とは思えない暑さの中、選手一行は沖縄での現地練習。今イチ雰囲気が乗らない内容に「遊びに来たんじゃないんだヨッ!」と№8・リチャード・ヒースリップがチームを引き締めました。
初戦の湘南フジクラブ戦はスコール並の豪雨の中での一戦。
「親分」ことSH大澤が老かいに球をさばき40対3で快勝。翌日の準決勝は前年度と同じ北海道バーバリアンズ戦。PR伊藤ゴンが額に流血しながらのトライなどで優勢に試合を進めていきますが、徐々にバーバリアンズも外国人SOの長距離PGなどでじわりじわりと追い上げ、終了間際に左隅にトライされてしまいます。この時、得点は30-28。実は同点になってもトライ数差で六甲に決勝進出権がありましたが、当時のベテランFB酒井は「ラグビー人生で初めて、ゴールキックにプレッシャーかけにいった」と当時の心境を吐露。ゴールキックがわずかに外れ2点差で決勝戦に進出しました。
決勝は2年連続で曼荼羅クラブと対戦。前半、先制トライチャンスをものにできなかった六甲は終始、リベンジに燃える曼荼羅クラブにリードされる苦しい展開。トライも№8・リチャードの1トライだけに終わり、10対42で完敗。悔しい敗戦となりました。
●9回大会(2002年・熊谷・秩父宮)
準決勝でバーバリアンズに苦杯
榎村主将2年目。全国初戦の相手は曼荼羅クラブ。開始早々ノーホイッスルで先制トライを許しますが、気を取り直してFWが奮起。鉄人吉野と杉山(立命大)の両WTBが活躍。57-19で決勝戦の雪辱を果たしました。しかしこの試合でケガ人が多く出てしまい、翌日の北海道バーバリアンズとの準決勝はなかなかペースをつかむことができず、10-18で涙をのみました。
この大会、タマリバクラブが初出場初優勝の快挙をやってのけました。
●10回大会(2003年・神戸、秩父宮)
地元神戸でタマリバに劇勝も・・・
初めての地元開催に燃える六甲クラブ。初戦は吉四六クラブ(大分)に47-17で危なげなく勝利。翌日はタマリバクラブと初対戦。前半、SH山西のサイド攻撃が決まって先制しますが、すぐに同点に追いつかれます。その後もタマリバの激しい当たりとタックル、機動力に一進一退を繰り返し、後半トライを許し12-7。試合はロスタイムに入り厳しい状況に追い込まれます。ゴール前のラインアウトから最後の攻撃。六甲はFWだけでなくBKもモールに入り、一丸となって押し込み、最後はHO松谷が執念のタッチダウン。SO伊藤康のコンバージョンも決まり14-12で激勝となりました。「何度も負けると思ったけど、そのたびにスタンドから応援の声援が奮い立たせてくれました」とLOの安達は述懐しています。
タマリバ戦に「全てを使い切った」のか、「次も勝てる」と思っていたのか、決勝の曼荼羅戦はいいところがなく7-39で完敗。タイトな相手との試合に続けて勝利することの難しさを改めて痛感しました。