勝利の先の笑顔へ
「不甲斐ない試合をしてしまって申し訳ありません」。
六甲ファイティングブル主将・上田陸は言葉少なに帰路についた。
初戦のハーキュリーズ戦に出られなかった分、二倍の働きをするつもりだった。だが、試合は13点のリードからまさかの展開で決勝切符を取り逃してしまった。多くの仲間が敗因を分析するように、思うところはたくさんあったと思うが「相手が上だった」と敗北の責任を一身に背負った。
今季はどこのチームもそうだったが、コロナ禍で体験したこともないシーズンだった。 3月、新主将となりさあ始動、というところでラグビーだけではなく、日本のスポーツ界が『活動自粛期間』に。キックオフミーティングの時間もなかった。春シーズンの全体練習は中止。大学や社会人との練習試合もキャンセルとなった。
6月、日本ラグビー協会が発令する通達に準じながら活動を再開。密をさけるために大阪組と兵庫組に分かれて始めた。コンタクト入れた練習ができるようになったのは7月に入ってからだった。
練習環境の確保にも頭を悩ませた。例年使用させて頂いている学校施設を利用するのが難しく、河川敷が練習の中心になった。幸運にも抽選で確保できた人工芝Gでの練習は本当に楽しくてたまらなかった。
大学や社会人チームと違って、練習機会が少ないクラブチーム。食事や飲み会などで互いのコミュニケーションをより深めていくのが不可欠だが、「自分たちが大好きなラグビーできる環境を守る」ためにはそれも我慢した。
限られた時間と機会の中で、どうチームを強くしていくか。上田は無愛想でぶっきらぼうだが、全員で共有できるように口下手ながらも熱く伝えていった。
一緒に練習に行く機会が多かったBKリーダーの中村が明かす。「どうやったら優勝できるか、どうやったらみんなが練習に参加するか?どうやったら楽しい練習ができるかなど、いつも六甲についての会話が多かったですね。練習とか試合では口数少なく身体で引っ張るタイプでしたけど、グラウンド外ではチームのために色々考えて行動してました」
「ミスしてもいいから一生懸命、思い切りやりましょう!」
上田は短い言葉に決意を込めた。全国大会まで公式戦などを繰り返しながらチーム力を上げていく。勝つためのチーム作りを目指して、言葉にも仲間に厳しさを求めるようになった。近畿リーグが途中で打ち切りになり、全国まで数少ない実戦機会の中で、チームが変わった、と思えたのは12月の天理大戦あたりからか。
「学生とか、Aチームの選手がいるとか、クラブチームだからとか、そんなのは関係ない。やるかやられるか。思い切りやりましょうよッ!」
「11月頃までのゲームの内容は決していい内容とは言えませんでしたが、リクだけじゃなく、ひとりひとりが考え決断して練習に臨むようになってチームは飛躍的に成長していったと思います」(衣川副将)
全国初戦のハーキュリーズ戦。出場できない上田を全員が思い、「必ず陸さんを準決勝に連れて行く!」と1つになった。終盤の猛攻をしのいで、前回大会王者を撃破した。チームがまた強くなった瞬間だった。
「僕はラグビーが好きです。それ以上にみんなで笑いあうことが大好きです」ー。
主将就任時の言葉から1年。チームが本格的に始動してから7カ月。試合ができてから6カ月。誰もが体験したことのない困難を経験しながら試行錯誤のキャプテンシーだった。
「不器用そのものですが、陸が熱くやってくれたからこそ、みんなも頑張れたのだと思います」(衣川副将)
「一生懸命。思いっきりやる!」試合前に上田が必ず口にした言葉。
来季こそ「勝利の先の笑顔」を皆で分かち合いたい。
(三宮清純)