~また逢う日まで~
素晴らしい時はやがて去りゆき、多くの笑顔と思い出を残して、一人のニュージーランダーは、愛妻とともに帰国の途についた。
ワレティニー・トーマス・ツアフ。
愛称“ツー”が過ごした日本の2年間は、あっという間に過ぎた。
三木市の交換ALTとして来日した2年前。
「NZマオリの血をひく男がやってくる」-。六甲の練習に現れた男は、想像とは全くちがい、身長はあるが足が妙に細くヒョロッとした体格と、アフロ系のヘアスタイルだった。
プレーも想像と全く違っていた。豪快な突進よりも、味方のフォローや安定したセットプレー、そして地道なタックルと、派手さはないが基本に忠実なプレーがツーの持ち味だった。
「FLとしてはあまりアタックは得意じゃないんだ(苦笑)。でも、その分タックルは大好きなんだよ」
その言葉通り、ツーのタックルは何度もピンチを救った。タックルだけでなく、ラインアウトやセットプレーで、ここ数年入れ替わりの激しい六甲FWの中で重要な生命線となった。
誰からも好かれる性格だった。
「ア~、オナマエ、ナント、イイマスカ?」
チームに入りたての頃はたどたどしい日本語で、少し遠慮気味に仲間に話かけ、顔と名前を憶えていった。ツーが六甲になじむのにそれほど時間はかからなかった。
昨季シーズン途中、やむなき事情で、一時帰国する時も仲間に申し訳なさそうに説明するツーに、「ツーさんのために全国大会まで絶対負けない!」と誓い合ったものだ。
三木市内の住居も、昔ながらのハイツで実につつましく生活していた。
ある試合の帰り、ツーをハイツまで送ったことがある。クレア夫人は夕食の準備中だった。
夕餉のメニューはなんと、玄米にお鍋。夫婦ともに日本食が大好き。クレア夫人は玄米をちゃんと小分けして冷凍庫に保管する良妻だった。
「ラーメンも好きですが、ウドンも好きです。近くの“マルガメセイメン?”大好きです。あ~あと“クラズシ”もよく行きます」。
日本のビールも美味いが、一番好きなのはやはりライオンマークのNZ産「REDBEER」だった。
昨シーズンの全国大会。攻守でチームの要だった。
準決勝、同点も内容差で決勝に進めなかった時は、本当に悔しがっていた。
「絶対延長戦をするべきだ。NZじゃ勝敗が決まるまでやる。でも、六甲もバーバもタフでとてもいいゲームだった」
ツーにはクラブからメンバーからの寄せ書きボールと、六甲ファイティングブルのレプリカジャージーが贈られた。
「本当にうれしい。六甲はマイファミリー。絶対に忘れない」。
ツー本人からも、クラブに贈り物があった。
それはマオリの木彫りのお面だった。
「これを、毎年一番活躍した選手に“MVPの証”として受け継いでいってほしい。一番最初は、ボクから選ばせてもらうよ」。
ツーはそう言って、主将の谷を指名した。
日本での2年間、ツー夫妻にとって六甲は心のよりどころだったようだ。
三木市内での多くのサポートをしてもらった「日本のファミリー」たちにも六甲のことをいつも楽しそうに話していたという。
六甲だけでなく、学校の生徒、職場の人々、多くの「日本の友」がサポートがあったからこそ、充実した時間を過ごせた。それだけに、最後の1か月は互いに切なくつらかった時間だった。
日本を離れる際に、ツーが残した言葉だ。
「練習頑張って!そしてラグビーを楽しんでください。努力すればチャンピオンになれると思う。40歳になったら、是非、六甲OB戦に参加したいです!六甲ファミリーに感謝と愛を込めて」
共に戦った熱い時間を
勝利を分かち合った瞬間を
共に過ごした喜びを
いつまでも いつまでも 忘れない。
そして
いつかまた いつかまた
逢える日まで
(三宮清純)